自分も「普通の人」になりたい
そもそも「普通」って何?
こんな疑問にお答えします!
- 「普通」の意味
- 自分のモノサシで生きる方法
突然ですが、ぼくは「普通」という言葉が嫌いです。
「普通」は人の数だけあり、本当の意味での「普通」なんてないからです。
そこでこの記事では、「普通」について深掘りしてみました。
「普通」という呪縛から解放されると、人生は一気に楽になりますよ。
普通とは何か
「普通」の辞書的な意味はこちら。
特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。
「普通」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書
なんとなくわかるような、わからないような。
でも異論はないと思います。
ただ冒頭にも書きましたが、「普通」は人の数だけ存在します。
なので、ぼくは「普通」という言葉が嫌いです。
かろうじて「一般的」なら許せますけど。
「普通○○でしょ」と考えを押し付けられると、「あんたにとっての普通は、おれにとっては普通じゃないんだよ」と思います。
「普通」という言葉の意味は決まっていても、定義は人によって違うんです。
自分のモノサシで生きる方法
「普通」なんて人それぞれなので、そんなものは捨ててしまいましょう。
「自分のモノサシで生きよう」ということです。
その方法は次の3つ。
- 自分はどうしたいかを考える
- 「普通」になろうとしない
- 人に理解してもらおうとしない
それぞれ解説しますね。
自分はどうしたいかを考える
「自分はどうしたいか」を基準にしましょう。
「周りにどう思われるか」なんて考える必要はありません。
周囲の目を気にすることは、他人の人生を生きているようなもの。
どうせなら自分の人生を生きたいですよね。
みんな自分を生きるのに精一杯なので、案外あなたのことは気にしていないのです。
「普通」になろうとしない
「普通」になろうとしないのも大切です。
「普通の人」は言い換えれば、「目立った特徴のない人」とも言えます。
つまり魅力がない人です。
「普通」になろうとすると、特徴のない人=魅力がない人が出来上がってしまいます。
人に理解してもらおうとしない
人に理解してもらう必要はありません。
「自分の人生は自分のものだ」ってよく言いますよね?
他者の協力が必要なことはありますが、人生の主導権は自分自身にあるのです。
人に理解を求めるのも、他人の人生を生きているようなものでしょう。
まとめ:「普通」を捨てて、自分のモノサシで生きる方法
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この記事のまとめです。
「普通」を捨てて、自分のモノサシで生きる方法をもう一度振り返ります。
- 自分はどうしたいかを考える
- 「普通」になろうとしない
- 人に理解してもらおうとしない
「普通」は人の数だけあるので、「普通」なんて存在しないようなものです。
だったら、そんなものは捨ててしまいましょう。
「普通」を捨てて自分のモノサシで生きていくと、人生はいい方向に向かい出しますよ。
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